懐かシネマ劇場 スタア銀幕エッセイ |
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スタアの身長疑惑 | |
今もキムタクやらトム・クルーズやら、公表されてる身長と実際の身長の数値に差があるスタアは後をたちません。 スタアは夢を売る商売なのだから、多少の嘘は大目にみてあげたい気もするけど、あまりにバレバレな嘘を、見て見ぬフリはやっぱりできないですね。 ハリウッドでは背の低い俳優さんが”台”を使って背を高く見せることを「”セッシュ”する」と言うそうです。 その語源は1920年代に活躍した日本人初のハリウッド・スタア、早川雪舟さんが、台を使って撮影していたことからきていて、今でもハリウッドで”業界用語”として通用してるらしいです。 |
低身長という 二枚目としての ハンディを ものともしなかった アラン・ラッド |
キネマ旬報だったかスクリーンだったかロードショーだったか、中学時代に読んだ映画雑誌で、”セッシュ”していたスタアの代表例として、「シェーン」で有名な二枚目スタア、アラン・ラッドのエピソードを読んだことがあるのですが、まずはそれから記憶の限り紹介することにしましょう。 アラン・ラッドは公的には(日本で刊行されたスター名鑑などには)、身長175センチとされています。 でも、実際には「島の女」('57年ジーン・ネグレスコ監督)で共演したソフィア・ローレン(身長173センチ)よりかなり低く、ローレンより背を高く見せるために、なみなみならぬ努力(?)と撮影テクニックを使ったそうなのです。 逃げるローレンを追いかけて、タックルし、ふたりが地面に倒れこんだところで抱き合ってキスするというラスト近くの情熱的なラブシーンでの事。 手前にローレンがいて、画面奥のラッドはちゃんと地面に足を着いてる(台は見当たらない)→ローレンが逃げる→ラッドが走り出す→カメラは二人をとらえたロングショットから上半身へのバストショットへと少しづつ角度を変える→そしてラッドがローレンに抱きつく瞬間はラッドのほうがローレンより背が高くなってる・・・・。 ほんの数秒だけど、映画のクライマックスとなるこのシーンのために、カメラに写らない位置に長いスロープ状の台をわざわざ作って撮影されたと言うのです。 これは事実かどうか、真偽のほどは明らかではありません。 単に面白おかしくにラッドの背の低さを茶化した作り話かもしれないのです。 でも、このシーン、ラッドの着てるコートのベルトと、ローレンのバストの位置関係が不自然らしいので、この映画を見る機会があれば、その辺をチェックしてみましょう。 (この「島の女」はローレンの野生美や風光明媚なギリシャの魅力で楽しい映画です) ラッドは身長155センチだったという記述も読んだ記憶があるけど、それはちょっと大げさ、僕の個人的な印象では160センチ代前半くらいじゃないかなと思います。 ※:その後,海外サイトで調査したところ、ラッドの身長は5フィート5インチ(165センチ)、ローレンのより正確な身長は5フィート8インチ1/2=174センチと判明。 でも、考えてみれば、スタアの身長詐称は本人には罪はないのかもしれません。 それは映画会社なり所属プロダクションなどが勝手にイメージアップのために作った数字かもしれないし、日本は長さの単位がセンチだけど、欧米はインチ法なので、インチからセンチに変換する時に計算まちがいが生じる場合もあります。 さらに昭和30年代の中ごろまでは「尺」「寸」がまだ普通に使われており、外国スタアの「5フィート9インチ」を、「5尺九寸」なんて表記してたりします。 1フィートも1尺もほぼ30センチだけど、前者は12進法、後者は10進法、これで換算してしまうと、とんでもない間違いが生じます。 |
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ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」('55)や東宝の怪獣映画「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」「怪獣大戦争」(共に'65)でおなじみのニック・アダムス、彼の身長は手元にある資料(神保町で買った「映画の友1964年版・スタア名鑑」)では、184センチということになっていますし、別の古い「映画の友」でも同じ数値が記載されてます。 えっ?ちょっと待って・・・ニックって共演の日本人男優より明らかに小柄な印象だったんだけど・・・本当かな?って一瞬思いました ニックが184センチなら、「フランケン〜」で共演した高島忠夫さんや「〜大戦争」で共演した宝田明さんはともに190センチ以上あるのだろうか?とも一瞬思いました。 |
ジェームス・ディーンの 恋人とも噂された ニック・アダムス 日本では 水野久美さんに 求愛していた 両刀使い? |
(※その後の調査で宝田明さんは182センチと判明、同期で東宝に入社した岡田真澄さん(すぐ日活に移籍)は184センチで当時の日本人俳優では裕次郎さん(182センチ)デビュー以前の高身長でした)。 |
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ちなみに昭和29年にマリリンがジョー・ディマジオと新婚旅行で来日した時のニュース写真を見たことあるのですが、帝国ホテルで、日本人女優代表として花束を渡す河内桃子さんのほうが、マリリンより背が高かったのを確認できました(河内さんは当時の日本人女性としては珍しく170センチあった)。 |
古いプロレス雑誌 のリキさん ・・・・カッコいい |
力さんは180センチということになってるけど、やはり力士時代の記録では176センチ、ヘビー級レスラーの水準からすると、当時でもかなり小柄です。 小さなリキさんが大きな外国人レスラーを空手チョップでバッタバッタとなぎ倒すからこそ、日本人の欧米人コンプレックスを吹き飛ばすカタルシスがあって、大衆は熱狂したのでしょう。 初代タイガーマスクの佐山聡さんはタイガーマスク時代のパンフレットには175センチとなってますが、東京で開催された、あるセミナーで至近距離でお見かけした時、172センチの僕より低かった(たぶん170かすかす)。 昔、わが町で新日本プロレスの興行があった時、藤波辰巳選手(当時)は木村健吾選手(当時)と同じ186センチとパンフには記載されていたのだけど、二人が並ぶと、どう見ても藤波さんは健吾さんより2〜3センチ低く見えました。 ”超人”ハルク・ホーガン選手は2メートル1センチという触れ込みだけど、ブレイク前の古い資料では198センチとなってます。 強豪・外人レスラーを日本に呼ぶにあたって、数字によって威圧感を強調する必要性からホーガンの身長を2メートル1センチと設定したのでしょう、いわば商売用の数字です(あるいはインチ法の換算が過去のが間違ってたか)。 ただひとつ不思議なのは(古いプロレスファンにはおなじみの)ディック・マードック選手は、プロレス会場でもらったパンフにも、その後の選手名鑑にも、共に188センチとなってるけど、192センチのスタン・ハンセン選手※よりも高く、新日本プロレスの日本人選手(当時)で一番大きい196センチの坂口征二選手(憲二の父)とどっこいどっこいか、それ以上だった事です。 プロレスラーで、実際の身長より逆に低く記載されるとは珍しい例です。 これは単純にインチからセンチに直す時に計算まちがいした最初の発表が、その後も訂正されないまま記載されてたためだと思われます。 マードック選手は亡くなったけど、プロレスファンの人の記憶には大柄なラフファイターとして印象に残ってるはずです(本当の身長はたぶん198センチ)。(※最近、吉本新喜劇で池乃めだか氏と共演したスタン・ハンセン氏の身長は195センチであると判明。現役時代に日本で発表されてた192センチはインチ法→センチ法への換算まちがいだったようです。2012.4.30追記) アニマル浜口さんは選手時代、175センチと発表されてたけど、本当はもっと小さいはず、角度によっては娘の京子ちゃんより低く見える時あります。 スタアの身長のお話はここまでですが、男優やプロレスラーの身長以上に過剰申告の激しい女優のスリーサイズについて面白い資料があるので近いうちにネタにしたいと思います。 '06.11.18記 追記:マリリン・ディマジオ夫妻が来日した際、帝国ホテルで河内桃子さんが花束を手渡したのは旦那さんのディマジオさんのほうだったようで、マリリンには日本のグラマー女優代表(?)の根岸明美さんが花束を手渡したことが判明しました。 ちなみに、根岸さんも身長167センチあり、今なら長澤まさみちゃん(168センチ)より低いですが、当時の日本人女性としてはかなり大柄で、河内桃子さん同様、マリリンよりも長身ということになります。 根岸さんと言えば、日劇ダンシングチーム出身で「キングコング対ゴジラ」(’62)で大ダコに襲われる島民の少年チキロの母で、コングを眠らせるファロ島ダンサーと言えば思い出す人もいるでしょう。 それより黒澤明監督の「赤ひげ」で印象に残ってる人も多いかもしれません。’08.3.24追記訂正 追記その2:元・新日本プロレスのレフェリーだったミスター高橋さんの著書「プロレスラー肉体の真実」によると、坂口征二選手以外のレスラーは実際の身長より、平均5センチ大きく発表していたそうです。 これで、身長187センチの江本孟紀さん(元阪神タイガース)が、スポーツ平和党でアントニオ猪木さんと並んだ時「猪木さんは僕より低かった」と言っていたことは本当だったんだと思いました。 猪木さんの身長は191センチということになってるけど、5センチ引くと186センチだから、江本さんより1センチ低いことになります。 藤波さんは186センチ以外にも183センチという発表もあって、5センチひくと178センチ、長州力選手は公表184センチだから179センチが”実寸”ということになります(長州選手はもっと低いように感じます)。 '07.10.12記 追記その3:ちなみに「尺」「寸」法ででも、おおまかに1尺=30センチ、1寸=3センチで計算した場合と、正確に1尺=30.3センチ、1寸=3.03センチで計算した場合とでは1.5センチから2センチくらいの誤差が生じます。 原節子さんは当時の日本人としては大柄と言われていますが、160センチと記載された資料と162センチと記載されたものがありますが、おそらく後者のほうが本当でしょう。 笠置シヅ子さんは4尺9寸6分(150.3センチ)で、マネージャーにお金を持ち逃げされた直後に、服部良一さんとのアメリカ公演があり、その時は田中絹代さん(5尺ちょうど=151.5センチ)から着物を借りてたそうです。 その田中絹代さん(27才当時)と、13才当時の高峰秀子さんは、まったく背丈が同じで、高峰さんは絹代さんから私服をたくさんプレゼントされたのに、、高峰さんは成長期だったため、わずか1年たらずで、それらの服を着ることがができなくなってしまったと自伝(「私の渡世日記」)に書いてありました。 不思議なことに高峰さんの身長はウィキペディアなどでは「153センチ」となっていることで、そんな小柄なはずはありません(これだと13才当時から1.5センチしかのびてないことになるので、これならじゅうぶん田中絹代さんからもらった洋服が着れるはず)。 ネット上の別資料では高峰さんの身長をは「158センチ」と表記してるものもあり、どちらかというと、こちらが本当でしょう。 「銀座カンカン娘」で笠置さんと並んだ感じでは笠置さんよりは明らかに大柄です。 ちなみに「銀座カンカン娘」で笠置さん高峰さんと共演されてた巨漢コメディアンでミュージシャンの岸井明さんは5尺9寸(178.8センチ)、41貫(124キロ)で、日大相撲部出身、横綱輪島関の先輩にあたります。 ’11.5.10記(5.18訂正) |
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昭和24年 「銀座カンカン娘」より(左端は灰田勝彦さん) |
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追記: 石原裕次郎さんは身長182センチ、股下90センチということになってますが、、実はその数字は新しいスタアを作ろうという当時の映画会社のイメージ戦略ではないかという疑惑が昔から囁かれています。 というのも裕次郎さんは当時の雑誌のインタビューで身長を問われて「五尺九寸(178.8センチ)です」って正直に答えてしまってるからだそうです。 兄、慎太郎氏は「弟は自分より2センチ低かった」とか発言してる(慎太郎氏の身長は知らないが)のも気になるところ(単に慎太郎氏特有の見栄かも)。 とりあえず、裕次郎さんの伝説は、実際には身長も股下も多少のサバ読みの上に成り立っているのかもしれません。 逆に、宝田明さんはデビュー当時、人に会うたび「大きいですね」って言われるのが嫌で、実際は六尺ちょっと(182〜3)あるのに「五尺九寸)です」と答えてたそうです。 '11.10,13記 |
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