追想・萌え日記
夏休みの補修授業
男の子の場合、ノンケ、ホモにかかわらず、性にめざめた頃の体験が、その後の人生を左右してしまうほど大きな意味を持つものだと思います。

僕の場合は小学校の頃からすでに”大人の”男の人にしか恋心を感じない人間である事は認識してたし、当然、性的対象も「大人の男の人」だったわけです。
 小学校低学年の頃にテレビを見せてもらってた近所のおじさん(村田さん)や、小学校高学年の頃の”隣のクラスの担任”仲本先生との出会いが、僕の恋愛対象や性的志向をしだいに方向付けしてたと言えます。
 村田さんと仲本先生のことは随想(エッセイ)のコーナーでも少し書いてるので、今回はいろんな意味で最も悩ましかった中学時代の思い出話をします。

小学校時代から蓄膿症と記憶障害のために勉強が苦手だった(ようするにアホだった)僕は、中学1年生の一学期の成績も良いはずもなく(今思えば”LD”学習不全症候群だったのかも)、英語、数学、歴史など数科目、夏休みの補修授業を受けることになりました。

 そして、嫌々出席した補修の初日の出来事。
昼からの1時間目(2時間目だったかも)教室でいくら待ってても化学の先生が来ないので、「お前、呼んで来い」ってことで、僕が職員室へ先生を呼びに行くことになったのです。

化学の先生は僕が大嫌いな担任のオコゼで、職員室の入り口から2列目の少し奥のほうに奴の机があります。
入り口に近づくと廊下から見えるオコゼのすぐ隣に、なんと、中学の入学式当日から一目惚れで密かに憧れてた井上隆士先生(仮名・当時40代なかばで1学年上の2年生の学年主任)の顔が見えたから、さあ大変、もうその時点で胸がドキドキしてきたのです。

そして、職員室の入り口から最初のコーナーを曲がって目に飛び込んできた光景、それは生涯、忘れられないような悩ましいものでした。

なんと井上先生はジャージの裾を膝まで捲り上げ、毛むくじゃらの足を投げ出していたのです。
それは想像を絶するほどモノ凄く、豪快きわまりない毛脛で、一瞬、頭がクラクラして本来の目的であるオコゼに補習授業をはじめてもらうことなど、どうでもよくなってました。
とにかく、一秒でも長く、その場にとどまり、井上先生の天然記念物と言ってもいいくらいに見事な足を記憶のフィルムに焼き付けたい気持ちでいっぱいでした。

井上先生はなんとなく毛深そうな肌質なので期待はしてたけど、まさか、これほどまでに凄い脛毛だったとは想像できないレベルだったので、いい意味でも悪い意味でもショックは大きすぎたのでした。

 あまりの迫力に動揺してしまい、担当学年ちがいで、めったに話す機会のない先生から、ひさしぶりに話しかけられたというのに、しどろもどろでちゃんと受け答えできなかったことが、直後すごく後悔しました。
その時、オコゼからも、何か僕がドギマギしてる様子をからかわれたような気もするけど、オコゼの言った言葉など全然憶えていません。

憶えているのは、井上先生の足の毛が全部フワ〜っと逆毛立ってた事と、その毛の量の多さと毛の長さが、この世のものとは思えないくらいだったこと、逆巻く脛毛の下に見える先生の向う脛の地肌がなぜか異様にツヤツヤ光ってたことです。
それと、裸足で水仕事をした直後ということもあってか、足の裏がフカフカ柔らかそうで、土踏まずのシワシワが何かすごく成熟した大人の男を感じたことなどです。。

井上先生の足の毛が総毛立ってたのは夏休み恒例のプール授業があったので、プール掃除後にタオルで足を拭いたからなんですが、あの職員室で見た光景は何十年たった今も夢で見ます。

小学校時代の仲本先生のプールあがりのすね毛も立派だったけど、こんなに至近距離で見たことはなかったので、この井上先生の”事件”は強烈に脳の中枢にまで刻み込まれています。

井上先生は担当学年違い(スライド式なので、僕の担任は3年間オコゼだった)という事で、一度も授業を受けた事はないけど、廊下で会うと必ず声をかけてくれたし、運動会や、キャンプなどの時などは何かと特別扱いで、僕に障害があることを気にかけてくれてたことは本当に幸せでした。
井上先生のルックスを強いて例えると、先ほど亡くなった映画監督の今村昌平さん(40代の頃)みたいな感じです。
メガネこそしてないけど、僕のイラストの人物、北原さんとも共通した雰囲気を持っています。

人間味あふれる井上先生は話も面白く、全校集会や運動会の予行演習の指導でのマイクパフォーマンスの話しぶりもユーモアがあって、女の子からも人気があったし、堅苦しいところがなく、どこか”不良中年”の匂いがする、今でいう”ちょいワル親父”の魅力がありました。
机の上に足を投げ出すなんて行儀の悪さが、男っぽくって好きでした。

脛毛自慢の井上先生は、ズボンやジャージの裾を繰り上げるのが好きだったので、その後も立派な脛毛の足を何度も目にする幸運にありつけました。

また、なにも毛脛を見せるまでもなく、毎年(といっても、たった3回だけど)、夏が来て、サンダル履きの先生と廊下ですれ違うたびドキドキして、血色のいい素足シビれてました。

将棋好きだった先生は、よく保健室で他の将棋好きの先生と将棋を指してましたが、その時も、なぜか、ズボン(かジャージ)の裾を捲り上げてあぐらをかいて事が多かった記憶があります。

中学を出て、自転車で片道10キロ以上ある高校へ通うようになってからも何回か、通ってた中学の方向へ向う井上先生の車とすれちがったことがあります。

フロントガラス越しの先生を一瞬見ただけで、しばらくの間、自転車を止めて深呼吸してもなkなか平常心を取り戻せないほど、強い恋心は残ってたのです。
高校時代は井上先生に匹敵するほど素敵な先生はいなかったからです。

いつの頃からか、井上先生の車を見かけることもなくなり、ずいぶん永い月日が流れました。
もし、先生の担当学年で、しかも担任だったら、一緒に修学旅行も行けただろうし、個人的な相談も出来たかもしれないし、もっと強い繋がりができてたかもしれないし、同窓会にも出席したかもしれません。。

子供の頃に村田さんと出会い、小学校で仲本先生と出会った事で形成されつつあった僕の”理想の人”のイメージは、思春期はじめの一番多感な頃に井上先生と出会ったことで、完全に固まったと思います。
その後、僕が好きになる人はみな、少なからず井上先生の影を感じる人ばかりです、例外はありません。北原さんと井上先生が似てるのも当然なのです。
 
みなさんも、ご自分の過去を振り返ってみてください。
きっと、中学生のころに出会った人の中に「好きなタイプ」の基本イメージの人がいると思います。           .2006.7.08記
              
            井上先生ではなく今村昌平監督です
               、あくまでイメージ画像ってことで・・・

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