懐かし歌謡劇場・アルバム編 僕の愛聴盤 | |||||||||||||||||||||||
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服部良一 僕の音楽人生 CD3枚組 1989年、日本コロムビアより発売 |
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CDとしては初めてリリースされた昭和の大作曲家、服部良一さんの作品集です。 発売当時、各方面、特に当時のポップス、ロック系ミュージシャンに大きな反響を巻き起こしたアルバムです。 しばらく廃盤となってたのですが、最近(2006年9月)に、生誕百周年記念として、めでたく再発売されました。 収録作品の大半は太平洋戦争を挟んだ昭和10年代から20年代のコロムビア在籍時代の作品です。 当然、モノラルのSP盤を音源としてるので、シャリシャリした針音に、SP音源未体験の人はびっくりするかもしれません。 |
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服部さんの音楽を食べ物に例えれると、昔、子供の頃にデパートの大食堂で食べたオムライスや、福神漬の添えられたカレーライスの味です。 それは決して本式のフランス料理やイタリア料理ではなく、日本人向けにアレンジされて、本来の洋食よりもずっと親しみやすくて懐かしい味のする和風洋食です。 日本の歌謡界に新境地を次々と開拓して定着させていった功績は大きく、次世代の作曲家、ミュージシャンに与えた影響の大きさという意味でなら、古賀政男さんを上回ってるでしょう。 この「僕の音楽人生」というタイトルは、昭和52年に出版された服部さんの自伝(日本文芸社刊)のタイトルをそのまま流用したもので、”僕の・・”という一人称が服部さんの気取らない素直な人柄を象徴しています。 その本(自伝)のほうの「僕の音楽人生」は平成5年に再出版されましたが、帯には財津和夫さん、さだまさしさんといったニューミュージック世代の歌手が服部さんを讃える言葉が寄せられていました。 私(タロスケ)と同い年のミュージシャン、ピチカート・ファイヴの小西康陽(やすひろ)さんも服部さんのファンで、康陽さんの選曲による服部良一作品集「ハットリ・ジャズ&ジャイブ」というアルバムが2007年1月に発売されました。 太平洋戦争で夭折した二世歌手、リキー宮川さんの「夢見る心」など魅力的なレア曲満載! 小西さんだから成し得たユニークな選曲で、服部さんの「モダン」で「ハイカラ」かつ不思議な和洋折衷感覚を体験してほしいです。 古賀政男さんの”古賀メロディー”に対し、服部さんの曲も”服部メロディー”と呼ばれていますが、古賀さんが”専門店型アーティスト”でメロディーに一貫したイメージあるのに対し、服部さんは”百貨店型アーティスト”で、その曲調に一貫性はありません。 淡谷のり子さんの「別れのブルース」(♪窓を〜開け〜れば〜♪の、あの歌です)、藤山一郎さんの「青い山脈」、笠置シヅ子さんの「東京ブギウギ」、渡辺はま子さんの「蘇州夜曲」、二葉あき子さんの「夜のプラットホーム」と、見事に曲調はバラバラです。 なお、「服部メロディー」という呼び名以外にも、「胸の振子」や「東京の屋根の下」などのロマンティックな甘いメロディの曲に対しては「服部ロマンメロディー」という別の呼ばれ方もあるようです。 最近は”J-POPの父”なんて呼ばれてますが、もともとは”リズム歌謡の父”と呼ばれてました。 タイトルを見ても”ブルース”ブギウギ””ボレロ””タンゴ””ルンバ”などが付くのが多く、”マンボ””チャチャチャ””ビギン”もあります。 法華経のリズムを取り入れた”ジャジャムボ”というのを笠置シヅ子さんと旗輝男さん、朝丘雪路さんで発表したけど、これは大ヒットにいたらなかった。 ただし、香港では葛蘭(ゲイラン)さんが映画で歌い、東南アジアでは結構、ジャジャムボは有名なようです。 また「ジャジャムボ」は、時を経た90年代にもシンガポールの大スター、ディック・リーにカバーされました(タイトルも「チャチャンボ」という、カバーというよりトリビュート曲のようです)。 ディックは服部さんが亡くなった年のレコード大賞の番組にも駆けつけて、松田聖子、酒井法子、雪村いづみ、桑名将大・晴子兄妹ら日本人歌手と”服部メドレー”を歌いました。 とにかく、新し物好きで研究熱心なアイデアマン、そして時には関西人ならではの茶目っ気も発揮する服部さんの作品は今聴いても魅力いっぱい。 当時を知らない若い世代も”レトロなポップス”として楽しめてしまいます。 そして、ここが重要なんですが、ただアイデアやリズムがユニークなだけでなく、美しい曲はどこまでも美しく、ときにクラシック歌曲の香りさえ漂わせていることです。 そう、服部メロディは親しみやすさと格調高さが奇跡的に両立しているのです。 そして、楽しい曲はどこまでも楽しく、底抜けに明るくブッ飛んでいて、服部さんと同時代に活躍したいかなる作曲家も、とうてい及びつかない独壇場です。 ユニークで楽しい曲と、ロマン溢れる美しい曲の、その振幅の広さこそが”服部メロディー”の魅力と言えるでしょう。 服部さんの自由な発想が日本の歌謡界を飛躍的に発展させたのは間違いない事実です。 だけど、それは服部さんが音楽大学出身ではなく、独学であったことによる”頭の柔らかさ”からきてるものかもしれません。 大阪・道頓堀のうなぎ屋さんの専属バンドを出発点として、NHK大阪ラジオのビッグバンドや数々のジャズバンドでサックスを吹き、ジャズ喫茶でピアノを弾きながらながら、亡命ロシア人音楽家のエマヌエル・メッテル氏にクラシック音楽を個人レッスンで学び、ものすごい吸収力でジャズとクラシックの両方から、あの素晴らしい編曲のテクニックを確立してゆくのです。 「青い山脈」にしてもそうなんだけど、服部さんの曲にはどこかロシア音楽の影響が感じられるのはメッテルさんの影響でしょう。 李香蘭(山口淑子)さんの「私の鶯(うぐいす)」はその最たるものです。 (「青い山脈」に関してははスペインの行進曲がベースになってるとも自伝で語っています) この3枚組みの聴き所としてはディスク1枚目の頭からの数曲、ヒットを意識せずに若い服部さんが思い切り自分のやりたい音楽に実験、挑戦してる部分です。 作曲家としての初ヒット曲「山寺の和尚さん」(コロムビアナカノリズムボーイズ)以前のジャズコーラス作品、淡谷のり子さんとコロムビアナカノリズムシスターズによる「おしゃれ娘」、二葉あき子さんとナカノリズムボーイズによる「ビロードの月」、二葉さんとリズムシスターズによる「月に踊る」など、演奏もコーラスもすごく凝った作りで、ポップスとしても日本語によるオリジナルなジャズコーラスとしても最高に楽しい曲です。 淡谷のり子さんの「私のトラムペット」(昔は「ン」を「ム」と表記した?)はトランペッター南里文雄さんとの共演で、淡谷さんの声のなめまかしさが光る曲。 霧島昇さんとミス・コロムビア(松原操)さんの「一杯のコーヒーから」は、戦時中とは思えない明るさにちょっとびっくりします。(その後、お二人は結婚します) 日本的な抒情を感じさせる高峰三枝子さん(フルムーンのコマーシャルやってた人です)の「湖畔の宿」(昭和15年)は、淡谷のり子さんの「別れのブルース」の発展形だけど、曲間のセリフが早口で棒読みなのに少しびっくり、でも口笛が哀愁があって、万条目正さん作曲による美空ひばりさんの初期の名曲「悲しき口笛」(昭和24年)のもとになったのではないかと思います。 トランペッター森山久さん(森山良子さんのおとうさん)の「霧の十字路」(昭和11年)は和製ブルースの実験作で、当時の言葉で「バタくさい」歌唱とクセのあるメロディが魅力的。 山田五十鈴さんの日本的な歌唱(?)が印象的な「牡丹の曲」(昭和16年)は「蘇州夜曲」の姉妹編のような抒情味あふれるチャイナメロディ。 エノケン(榎本健一)さんと"バッテンボー"で有名な池真理子さんの「幸運の仲間」は二人の掛け合いが楽しい曲で同名映画の主題歌。 この曲など、戦後の服部さんの曲の多くは、どこか、苦しみから立ち上がって希望が沸きおこってくるような曲で、それこそ「服部ロマンメロディー」と呼ばれる所以なのでしょう。 戦後まもない当時、歌が人々の生活に与える影響はきっと今とは比べ物にならないくらい大きかったと思われます。 ("バッテンボー"とは当時、池真理子さんのカバーでヒットしていたアメリカ映画「底抜け二丁拳銃」の主題歌「ボタンとリボン」の事)。 二葉あき子さんの「蘭の花」「バラのルムバ」「雨の日ぐれ」などはいずれも格調たかく、上品な中にせつなさを感じさせる歌声です。 (なお、若い人は「岸壁の母」の二葉百合子さんと二葉あき子さんを混同してしまう人がいるけど、あき子さんは百合子さんとは全然別人、百合子さんは浪曲出身だけど、あき子さんはタンゴ、ルンバやワルツなどを得意とした人です。) 藤山一郎さんのスパニッシュな「カスタネットタンゴ」や「懐かしのボレロ」、和洋折衷が楽しい市丸さんの「三味線ブギウギ」など次から次へといろんなリズムのバラエティ豊富な曲がひしめき合ってて、まるで”五目御飯”状態です。 この3枚組CDは日本コロムビアからリリースだけれど、自社の音源だけでなく、ビクターからも「銀座カンカン娘」(高峰秀子)、「恋は陽気にスィングで」(宮城まり子)など数曲の音源を借りて収録されてるうえ、服部さんがコロムビア以前に所属していたマイナーなレコード会社、ニットーレコード時代の昭和10年の作品「流線型ジャズ」(志村道夫)も収録されてます。 大ヒット曲としては淡谷のり子さんの「東京ブルース」「想い出のブルース」、藤山一郎さんの「銀座セレナーデ」などが漏れてますが、CD3枚というのは多いようで少ない、まして服部さんのような一時代を作った大作曲家なら最低10枚組みくらいにしないと満足できません(その後、服部さんの7枚組BOXが出ましたが、それでもなおかつ収録漏れが多い)。 この3枚組服部作品集、ベスト盤につきものの「あれが入ってない!」という残念感は正直あります。 個人的には笠置シヅ子さんの「ヘイヘイブギー」が入ってないのがすごく残念。 この「ヘイヘイブギー」は服部さんの全作品の中でも楽しい歌のナンバー1だと思ってるので絶対に外してほしくなかった。 実はこの3枚組「僕の音楽人生」は同じ”日本のポップスの創始者たち”シリーズとして、笠置シヅ子さんの3枚組「ブギの女王・笠置シヅ子」と同時発売だったため、できるだけ曲目がダブらないように、笠置さんの曲は最低限に絞り込まれてるからです(「ラッパと娘」「東京ブギウギ」「買物ブギー」の3曲のみ)。 「ヘイヘイブギー」や「ジャングルブギー」を聴きたい人は、笠置さんのCDも買わなくてはなりません。 |
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「ブギの女王・笠置シヅ子」 3枚組み |
実は「ブギの女王」3枚組も、全53曲中、48曲が服部さんの作品で、残り5曲は外国カヴァー曲と、服部さんの弟子の原六朗さんによる作品です(原六朗さんは美空ひばりさんの「お祭りマンボ」などが代表曲)、つまり「笠置シヅ子・ブギの女王」3枚組は、”もうひとつの服部良一作品集”と言えるので、ぜひ揃えてほしいアルバムです(この「ブギの女王」3枚組も2006年9月に再発されましたが、新たに音源が見つかった服部作品2曲が追加されて55曲入りとなってます)。 | ||||||||||||||||||||||
「東京の屋根の下 服部良一・僕の音楽人生 ビクター編」2枚組み |
また、2003年(平成15年)には、服部さんがビクターから発表した曲を集大成した2枚組「東京の屋根の下/服部良一・僕の音楽人生・ビクター編」がリリースされました。 89年のコロムビア編にも収録されてる「銀座カンカン娘」「東京の屋根の下」などの再収録とともに、ビクターにおける笠置シヅ子的ポジションの暁テル子さんの歌がたっぷり聴けるし、後にハリウッドへ渡るナンシー梅木さんの歌などの、貴重な曲が目白押しです。 |
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このビクター編、個人的にうれしかったのはビデオで映画「銀座カンカン娘」を見たときからずっと欲しかった灰田勝彦さんの「わが歌わが夢」と「ワンエンソング」、山口淑子さんによる壮大なバラッド「想い出の白蘭」が収録されてることです。 |
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服部良一 僕の音楽人生:完結編 ビクター編(1枚もの) ”銀座カンカン娘” |
1950年(昭和25年)に「服部良一と彼の楽団」として録音された「アイル・カム・トュ・ユー」(胸の振子:英語版)と「ダンシング・デキシーランド・スタイル」(東京ブギウギ:英語版)が収録されてるのが超レア!! | ||||||||||||||||||||||
服部良一 僕の音楽人生:完結編 コロムビア編(2枚組み) ”胸の振子” |
”正編”に未収録だった淡谷のり子さんの「東京ブルース」や「想い出のブルース」藤山一郎さんの「銀座セレナーデ」などのオリジナル盤と、ステレオ時代になってからのカバーを多数収録 | ||||||||||||||||||||||
服部良一 僕の音楽人生:完結編 テイチク編(1枚もの) ”服部良一カバーズ” |
ステレオ時代のカバー曲を中心に、アイ・ジョージさんや石原裕次郎さんへのオリジナル曲も収録。 裕次郎さんの「胸の振子」は名カバー |
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「おしゃれ娘」淡谷のり子&コロムビア・ナカノ・リズムシスターズ(昭和11年) ※なお、服部良一作品として、同コンテンツ内”あの人この歌” 「ヘイヘイブギー」「蘇州夜曲」「胸の振子」のレビューも合わせてお楽しみください。 |
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映画「銀座カンカン娘」(昭和24年)より |
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