花はどこへいった
懐かし歌謡劇場    あの人この歌 
花はどこへいった ピーター・ポール&マリー 
WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE/PETER,PAUL AND MARY (’62年)
作詞/作曲:ピート・シーガー
 この曲を初めて聴いたのは、まだ大阪で万国博覧会が開催される以前のことです。
当時の僕は外国の歌なんてまったく興味のなかった小学校低学年だったけど、それでもいくつかの洋楽メロディーは、大人になった今も、ふいにラジオや商店街の通りで耳にしたら、瞬間的にあの頃へタイムトリップしてしまいます。
なかでも、この曲や「虹と共に消えた恋」などのメロディーは、当時、通ってた養護学校のスクールバスの窓から見た田舎道や団地が並ぶ郊外の風景が浮かんできます。
やがて中学、高校、大学へと進む過程で、この曲が反戦のメッセージが込められたプロテストソングだと知りました。
僕がこの曲を聴いたのはレコードがリリースされた昭和37年であるはずはなく、昭和40年代前半、つまりベトナム戦争の頃の記憶です。ピーター・ポール&マリー以外にもいろんな人が歌ってるのを聴いた記憶があります。
それは森山良子さんなどの日本人歌手で聴いた記憶かも知れないし、たしかNHKの「みんなの歌」でも誰かの日本語バージョンを聴いたような気がします。

ピーター・ポール&マリーのレコード(ベスト盤)を買ったのは、実は社会人になってからです(お恥ずかしい)。
僕の好きな日本のフォーク系歌手(グループ)はP.P.Mで育った人が多かったこともあり、ある歌手のコンサートでこの曲が歌われてるのを聴いたら「あっ!これ知ってる」ってことで、突然、昔の記憶が呼び起こされ、翌日はレコード屋さんへ直行してました。
日本において1960年代の終わりころから70年代はじめころにデビューしたフォーク(ニューミュージック)系アーティストにとっては、我々の想像以上に、ピーター・ポール&マリー(以下、P.P.M)は大きな影響力を持っているようです。

赤い鳥やオフコース、小室等さんらも学生時代に必死にP.P.Mの曲をコピーし、この素晴らしいハーモニーを手に入れようと努力したことが、結果的に日本のポピュラー音楽の質的向上につながったと確信してます。。
もし、P.P.Mの存在がなかったら、オフコースもハイファイセットも、それに続くたくさんのサウンド志向、ハーモニー志向のグループも存在しなかったでしょう。

この曲はP.P.Mの代表曲のひとつなので、P.P.Mがオリジナル歌手だと思われがちだけど、もともとはアメリカのフォークの巨人、ピート・シーガーが1955年という、朝鮮戦争の終わりのころに発表した古い曲だったんですね。
それはNHKの番組で知りました。そして初めてピート・シーガー本人の歌うこの曲を聴くこともでき、素朴な語り口で歌われる本人バージョンに感動しました。

また、その番組によって、この曲を最初にヒットさせたのは男性コーラスの”キングストン・トリオ”であること、さらに、それ以前にも「リリー・マルレーン」という反戦歌で有名な大女優マレーネ・ディートリッヒにカバーされてると知りました。
このディートリッヒ・バージョン、彼女のベスト盤にも入ってたので買って聴きました。
加藤登紀子さんに似た声で、ドイツ語で歌われる「花はどこへいった」も、なかなか味のあるものでした。
さらにその後、キングストン・トリオのCDも買ったのですが、テンポが予想外に速くてPPMバージョンのような抒情性が薄い気がしました。

日本語版としては、トワ・エ・モワの、山室(現・白鳥)英美子さんと芥川澄夫さんのさわやかなデュエットで聴く事が出来ます(収録されてるベスト盤が今も買えるかどうか未確認)。

昭和40年代初頭のGSブームの頃に、「海は恋してる」のリガニーズによる日本語バージョンを収録した「青春年鑑」シリーズのCDも発見、歌詞が直訳でわかりやすいです。

しかし、やっぱりこの曲は英語で聴くのが一番ですね。

♪ウェ〜ハヴォ〜ジ フラワ〜ズゴ〜ン♪  

柔らかい英語の歌いだしがなんともたまらないですね。
実は子供のころのインパクトでは♪シューシューシューラールー♪という呪文のような「虹とともに消えた恋」のほうが印象は強かったけど、今となっては「花はどこへいった」がメロディーの流れの美しさで立場は逆転しました。

P.P.Mでは他にボブ・ディランの「風に吹かれて」、ジョン・デンバーの「悲しみのジェットプレイン」はじめ、たくさんのソングライターの曲をカバーしてるうえに、「パフ」「悲惨な戦争」など、ピーターさんとポールさんの作詞、作曲によるオリジナルヒットもあります。
自分たちで曲を作ることにこだわらず、優れた作品であれば他の作家の作品も歌うという姿勢が良かったと思えます。

もう10年以上も前、来日したP.P.Mのライブがテレビで放送されたとき、すっかり”肝っ玉かあさん”に変貌してたマリーさんにはびっくりしたけど、それ以上にびっくりしたのは、この「花はどこへいった」や「レモン・トゥリー」などの曲を、会場のお客さんみんなが口をパクパクさせて歌ってたことです。
ビートルズ、ボブ・ディランだけが日本の音楽シーンに影響を与えたわけではないのですね。
”P.P.Mチルドレン”とも言える日本のアーティストが日本の音楽シーンの質的な底を支えてると思います。

数年前にNHKの音楽番組で元ハイファイセットの山本潤子さん、元オフコースの鈴木康博さん、ギタリストの吉川忠英さんの3人が、即興で、P.P.Mのナンバーをメドレーのように歌ったのを見たのですが、三人の演奏と声のからませ方がまるでP.P.Mそのもので、やはりP.P.Mを目指したミュージシャンの底力は凄い!と感じました。
コーラス、ハモりのツボが身についてる世代なんですね。今の若いストリートミュージシャンにはとうていできない芸当です。

日本ではカリスマ性のあるシンガーソングライターに名声が集中してしまうので、P.P.Mのような、こだわりなく他のアーティストの曲を歌うアーティストが育たない土壌だそうです。
そう言われれば思いあたるアーティスト(グループ)が何組かあります。
「英語の歌は言葉の意味がわからないから」と、洋楽を敬遠してる人はまず、P.P.Mから聴いてください。

なぜか英語なのに日本の小中都市の郊外の風景に溶け込んで、とても和やかな気持ちになれます。

美しいメロディーを美しいハーモニーで・・・・時代を超えて誰もが癒されるピーター・ポール&マリーのCDを団塊世代より下の若い人たちもぜひ聴いてみてください。

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追記メンバーのひとり、ポール・ストゥーキーさんがこの2007年5月に来日し、東京で”横田めぐみさん支援コンサート”を開催します。.
1日目は山本潤子さんと鈴木康博さんとポールさんとの日米混成PPMで、めぐみさんのお母さん早紀江さんが好きだったという、この「花はどこへ行った」が歌われる可能性がひじょうに高いです。
2日めもPPMの大ファンである俳優の角野卓造さんやCWニコルさん、南こうせつさんらも出演されるので、きっとすばらしい歴史的コンサートになるはずだから、行ける人は多少無理しても後悔しないはずです。

2007.4.11記.

2009年9月に亡くなったマリー・トラヴァースさんのご冥福をお祈りします。