懐かしシネマ劇場第9回
   麦秋 ばくしゅう 
小津安二郎監督 
昭和26年松竹 白黒作品 
   脚本:野田高梧/小津安二郎音楽:伊藤宣二、撮影:厚田雄春
  出演:原節子、笠智衆、淡島千景、杉村春子、三宅邦子、二本柳寛、菅井一郎、
    東山千栄子、佐野周二、高堂国典、宮口精二、高橋とよ
 
間宮家の人々
植物学者で68歳のお父さん周吉(菅井)と、お母さん・志げ(東山)
東京の病院に勤務する医者の長男・康一(笠)、東京の商社に勤める長女・紀子(原)
、長男の嫁・ふみ子(三宅)、腕白な兄弟(長男夫婦の子供たち)実と勇
   「麦秋」は、」幸福な家庭の日常を淡々と描いた、おだやかなホームドラマです。

婚期を過ぎつつある娘をめぐり、家族や周りの人々の心情が、ユーモアを交えて繊細なタッチで描かれており、小津安二郎監督ファンや原節子さんのファンからも人気のある作品で、人によっては「東京物語よりもいい」と言う人もいます。

原節子さんの役名は間宮紀子(まみやのりこ)、東京・丸の内の一流商社に務める、ちょっとブルジョアな家庭の長女で28歳(実際の原さんは31歳)。
  この紀子さん、育ちの良さが良い方向にだけ出たような、おおらかな”お嬢さん”で、原節子さんだからこそ演じられた小津監督の”理想の女性”と思われます。

 どんな突っ込み(?)も持前の”ふくよかな笑み”で受け流しながらも、言いたいことはちゃんと言う、機知にとんでて、ユーモアのわかるオトナの女性、しかもお嬢さんなのに意外としっかり者です。

同じ小津監督の作品でも、ファザコンで潔癖症だった「晩春」(昭和24年)の原さんより、ずっとさばけた感じだし、「東京物語」(昭和28年)の原さんより感情豊かで、時にいたずらっぽい顔も覗かせる、明るいヒロインです。
恋や結婚には興味なさそうな役どころが、いっそう原節子さんのオーラを輝かせています。

ちなみに「晩春」も「東京物語」も原さんの役名は”紀子”で、「紀子三部作」と呼ばれています。

この「麦秋」は、後の「東京物語」のように、劇中で悲劇は起こらないし、家族間の(大人の事情による)エゴイズムも(そう深くは)描かれていません。

でも、みなさん、この映画を安心して観てはいけません。
我々同性愛者、特に40を超えて独身の人には、ちょっぴり痛い映画でもあるからです。
 
 物語のラストちかく、結婚を決意した紀子が、義姉・ふみ子(三宅邦子さん)と浜辺で語りあうシーン、紀子のセリフにドキっとします。

「40にもなって、まだひとりでブラブラしてる人なんて、あたし、なんだか信用できないの、それより子供くらいいる人のほうがよっぽど信用できると思うの」

こういった結婚観は今も残っていますが、当時はそれがきわめて常識的な考え方だったのでしょう。

この映画レビューを打ち込んでる私自身も、当然40越えて独り身だし、子供がいるわけありません。

同性愛者は、そんな古くて堅苦しい倫理観、道徳観では生きて行けません。

原節子さんにそんなセリフを言わせるなんて、小津さんも共同脚本の野田高梧(こうご)さんも罪が深いです。

ちなみに”40にもなってひとりでブラブラしてる”人物とは、紀子の上司、佐竹専務(佐野周二さん)が持ちかけた縁談の相手、真鍋(まなべ)氏のことです。
40歳で未婚、有名商社の常務で良家の出身で、佐竹の学生時代の先輩で、後輩の佐竹から「なべちゃん」と愛称で呼ばれるくらいだから、たぶん偉ぶらない良い人なのでしょう。

佐竹によると「ゴルフの腕前と男前は俺よりもちょっと上」らしいけど、このなべちゃん、画面には一度も登場しません(ゴルフをしてる小さな写真のみでお顔はわからない)。

なべちゃん=真鍋氏同様、名前でしか登場しないと言えば、南方戦線で戦死した間宮家の次男・省二も、回想シーンどころか、遺影でさえ、画面に姿を見せません。
しかし、この省二にも、しっかり物語上の重要人物として役割を与えられています。

冒頭に、幸福な家庭と書いたけど、やはり戦後6年という時代背景がドラマに深い陰影を与えています。


お父さん・周吉(菅井一郎さん)は省二は戦死したものと自分を納得させてるのに対し、お母さん・志げ(東山千栄子さん)はあきらめきれずにラジオの「たずね人の時間」(※註1)を聴いてる、というあたりに、母親の愛情の深さを感じさせ、切なくなります。

(註1:「たずね人の時間」=当時のラジオ番組のタイトルで、戦後6年たっても、南方からの復員兵の情報は時々あったらしい)

間宮家の長男・康一役は笠智衆さんで、珍しく実年齢(46歳)に近い役で「東京物語」や「晩春」の老け役イメージからすると、あまりの若さ(!)びっくりされるかもしれません。

また、後の日活アクション映画での、貫禄たっぷりなボスや主人公の上司のイメージがある二本柳寛さんが、まだ30代の好青年(!)を演じているのも驚きです。

二本柳さん演じる矢部謙吉は、奥さんを早くに亡くし、幼い娘と、60歳前後と思われる母親・たみとの3人暮らし。
そして、戦死した省二の親友であり、康一と同じ病院へ北鎌倉駅から通っているという設定。

謙吉の母・たみはを演じるのは杉村春子さんで、物語をいっきに進展させる重要な役どころ。
小技の効いた芝居で喜怒哀楽の激しい下町風のおばさんを演じてて、当時の実年齢が42歳だったとは信じられない名演技です。

また、出番は少ないながら、小津組の常連、高橋とよさんも、俗っぽい料亭の女将役でいい味だしてます。

杉村さんと高橋さん、それと佐野周二さんが、浮世離れした(?)間宮家のブルジョア感とバランス取ってる気がします。

もちろん、ブルジョアとは言っても、今の目で見ると、ずいぶん質素で、紀子とふみ子のショートケーキをめぐる会話など、じゅうぶん庶民的です。

でも、お父さんが学者で、長男が医者、孫たちはHOゲージ(今でも高価な電動鉄道模型)で遊んでるなど、やっぱりブルジョアです

ところで、小津監督はに性悪説にもとづき、子供は好奇心と悪意のかたまり、感情を制御できないエゴイスティックな存在として捉えているようです。
耳の遠い伯父(高堂国典さん)にいろんな悪戯をする幼い兄弟、実と勇のヤンチャぶりは微笑ましさを通り越してます。

子供が本来持っている純真ゆえの残酷さが、ある種のブラックユーモアとして映画全体のスパイスとなってます。

この腕白坊主たもち、やがて成長するにしたがって、分別を身に付け立派な大人になってゆくのでしょう、たぶん。

小津監督の戦前の傑作「生まれてはみたけれど」(昭和7年・サイレント映画)を観ると小津監督の子供に対する考え方がわかります。
「生まれてはみたけれど」では、やんちゃな兄弟が上司に媚を売る父親に思いきり反抗する様子がユーモラスに描かれてるのですが、最後に父親の立場=大人社会の矛盾を子供なりになんとなく理解し、ハッピーエンドとなります。
 
この「麦秋」では、そこまでは描かれていないけど、最後に家族みんなで写真を撮るシーン、なんとなく、この子たちの未来は明るいものと感じました。
     
謙吉(二本柳)の転勤話にショックを受ける
母、たみ(杉村)


謙吉と紀子、北鎌倉駅ホームでの出勤前の会話→
 
ところで、この映画の魅力のひとつは”そこはかとない”ユーモアにあるのですが、その中で印象的なセリフを書き出してみましょう。
↓ 以下は、紀子の学生時代からの親友で料亭の娘・アヤ(淡島千景さん)が、佐竹の会社に集金に来た時の、アヤと佐竹の会話です。

佐竹 「どうなんだい?あいつ、誰かに惚れたことないのかい?」
アヤ 「さあ、ないんじゃないの、あの人、学生時代、ヘップバーン(※1)が好きで、
    ブロマイド集めてたわよ」
佐竹「ヘップバーンってなんだい?」
アヤ「アメリカの女優よ」
佐竹「じゃあ女じゃないか、彼女、変態かい?」
アヤ「まさかあ」
佐竹「いや、そんなとこだよ、おかしな奴だよ」

(注※1:誤解されてる方が多いようですが、このヘップバーンとは、1930~40年代に中性的な魅力で人気があったキャサリン・ヘプバーンのことで、オードリー・ヘプバーンのことではありません。
ちなみにオードリーの「ローマの休日」が日本公開されるのは、この映画の3年後の昭和29年で、それまでは”ヘップバーン”と言えば、”オードリー”ではなく、”キャサリン”のことだったのです。


佐竹「ところできみ、(昼)メシまだかい?」
アヤ「まだよ」
佐竹「すし、何が好きだい」
アヤ「まあ、トロね」
佐竹「トロか、ハマグリどうだい?」
アヤ「好きよ」
佐竹「海苔巻どうだい? 海苔巻」
アヤ:(怒ったように)「きらいよ」
佐竹「君も変態だよ」(と言ってカカカカと笑う)

セクハラなんて言葉もなかった時代の、おおらかなオトナの会話。
佐竹専務を演じる佐野周二さんのざっくばらんな人柄をあらわす名シーンです。

同性愛差別なセリフはあるけど、小津さんか野田高梧さんが自虐的な意味に使ってると考えるのが妥当でしょう。
「40こえてブラブラ~」発言と合わせて。小津さんと野田さんには、おおいに反発したいところだけど、小津さん自身が生涯独身だったことを考えると、逆説的な意味にとらえるのが正解だと思います。
 
料亭「田むら」での佐竹(佐野)、紀子、アヤ(淡島)
←ラーメン1杯が50円の時代に、このショートケーキ
は900円(を切り分けた物)
物語は、大和(奈良)の本家に移り住んだ老夫婦、周吉と志げが、耳成山麓の麦秋の風景を眺めながら、自分たちの人生はいい人生だったと、をしみじみと語るところで終わります。

時が流れ、世代は受け継がれてゆく・・・人生の儚さを感じるラストシーン。

小津監督は、この映画のテーマを「輪廻」だと語ったそうですが、そう思うと、円覚寺にある小津監督の墓石に「無」という文字のみが刻まれている事と何か関係があるような気がします。

風にそよぐ一面の麦畑に、なんともいえない無常感が漂うのはそのためでしょう。

 それにしても、小津安二郎監督は、なぜ、そんなに”家族”や”結婚”にこだわりつづけたのでしょう?

ひょっとすると、それは、小津監督が自分の人生に欠落した幸福感を補おうという想いがあったからではないかという気がします。

小津監督自身が同性愛者だったかどうかは分からないけど、そうであってもなかっても、禁欲的な古い道徳観に生きた人という気がします。
 雑記
  
野田高梧さん
と打ち合わせ中の小津さん
野田さんの娘で、やはり脚本家の道へ進んだ立原りゅうさんによると「父は男役、小津監督は女形」と語っています。
でも、その言葉は、宴会の席での二人の役割分担のことで深い意味ではありません。
10歳年上の野田さんが宴会の仕切り役で、小津さんは余興で「湯島の白梅」などの舞を披露してたそうです。

●佐野周二さんは関口宏さんのお父さん、どことなく面影があります。
●周吉の兄で、耳の遠い伯父役は「七人の侍」や「ゴジラ」(共に昭和29年)にも出演してる高堂国典さん。当然、大和の本家から来てるということで、登場人物の中で唯一、関西弁です。
 ’09.2.12記           懐かシネマ劇場TOPへ戻る
 追記
 このレビューを書くにあたって「小津安二郎・新発見」(講談社プラスアルファ文庫)を購入しました.。
また2年前に購入した「週刊・日本の100人・小津安二郎」(デアゴスティーニ)もたいへん参考にさせていただきました。(その他、本屋さんで立ち読みした小津さん関連の本も多数ありますが、それらの本のタイトルのひとつひとつを覚えてなくて申し訳ありません、大変失礼します。)

●お父さん(周吉=菅井一郎さん)が植物学者だというのは、それらの本を読んで初めて知りました。
映画を見ただけではお父さんは特に働いてる形跡はなく、定年退職して悠々自適の年金生活者に見えます。

●奈良の本家からやってきた高堂国典さん(お父さんのお兄さん)は、歌舞伎見物に行って「若い者がようやりよる」と世代交代の重要さを語るのですが、それは実は老夫婦(菅井さん、東山さん)に本家で暮らすことを催促していることなんだということ、初めて観た時はぼんやり見てたので全然気付きませんでした。

●小津さんを何が何でも同性愛者としたい人は、小津さんが学生時代に、下級生の男子生徒にラブレターを書いて停学処分にされた「稚児さん事件」のことを根拠にしてるようですが、実はこの事件に小津さん自身は関与してなかったと「日本の100人」には書いてあります。

●紀子の女学生時代の友人たち4人が喫茶店に集まって、既婚組と未婚組にわかれて大舌戦(?)が繰り広げられ、紀子ともども未婚組のアヤ(淡島さん)が独自のハチャメチャな「結婚観」を披露します。
このあたりも、まだ観てない方は「アヤの結婚観」を楽しみにしてご覧になってください。
なにもかもネタバレしちゃうと、映画を見る興味がうすれてしまいますもんね。

●画面には登場しない間宮家の次男・省二のイメージモデルは、かの山下達郎さんも大絶賛する名作「人情紙風船」の監督で、戦地で病死された山中貞夫さんだそうです。
小津さんは山中さんを弟のように可愛がってたそうで、訃報を聞いて数日間、口もきけなかったそうです(ちなみに山中さんの風貌は個人的印象ではミュージシャンの大瀧詠一さんに似てます、ああいうモッサリした感じの天才肌の人だったのでしょう。)
と、いうわけで、この「麦秋」は山中貞夫さんへのレクイエムという側面もあり、戦死した友人の妹(原さん)と結婚する謙吉(二本柳さん)が、この映画の中ではでは小津さんの分身と言えそうです。

この映画の後、原さんと小津さんが結婚するという噂がマスコミをにぎわしたそうですが、ご存じのとおり、二人は結婚することもなく、お互いに独身を通しています。

'09. 2.22記 
※この映画でのショートケーキは切り分けられた物ではなく、丸い完全な形のケーキで、食べる時に切り分けていたようです。
’12.1.14記
 
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